まず動け
ここ数年、お腹周りが気になっているのですが毎回、「続かないからダイエットを始めても無駄」というやらない理由を考えてしまい、今年もダイエットをすることがないまま終わりを迎えます。
どなたか来年から僕と一緒にダイエットを始めましょう。
僕の来年の目標は
「あれこれ考えずにまず行動」
二匹のカエルが、牛乳の入ったバケツに落ちてしまった。
這い上がろうとしたがバケツの縁までは高く、壁はつるつるしてどうにもならない。
一方の、あきらめの早いカエルはもう一匹に向かって言った。
「もうだめだ。僕たちはここから出られないよ」
そして目を閉じ、バケツの底に沈んでいって溺れ死んだ。
もう一匹のあきらめの悪いカエルは「いやだ。死にたくない。何とかならないのか」と、とにかく泳ぎまわり、出口を探したり、跳び上がったりしていた。
そうこうするうちに、いつの間にか足元の牛乳が固くなってきた。
かきまわされた牛乳の表面がバターに変わっていたのだ。
カエルはその上から跳び上がって、バケツから出ることができた。
どんな苦しい状況でも、ときには絶望かと思われるような状況でも、必ずできることはある。
考え込んでいても活路は開けない。
立ち止まらずに、そうすれば、思いもかけない可能性が見えてくるものだ。
動き続けることだ。
そうすれば思いもかけない可能性がみえてくる。
とりあえず冬は寒いので、ダイエットは春から始めようと思います。
目標を高く設定する
今年も残すところあと少し。
皆さんの来年の目標は?
目標は高く設定しましょう。
「5円玉をテーブルの上に立ててください」
と言うと、殆どの人が立てることができない。
けれども、
「5円玉をテーブルの上に立てて、その穴に糸を通してください」
と言うと、半分以上の人が、立てることができるという。
ポイントは、5円玉を立てることの先に
「糸を通す」
という目標があるかどうかの違いだ。
ここから学べるのは、高い目標を設定すれば、
それだけ多くの能力を発揮できるということである。
僕たちは目標を設定するとき、現在の自分の能力に見合った、それなりの目標にしがちだ。
しかし、それなりの目標では、実は本来持っている能力以下しか出すことができない。
もし、あなたがもっと能力を高めていきたいのだとしたら、ちょっとむずかしいかなと思うくらいの目標を立てて、それに挑戦していくことだ。
それがあなたの能力を引き出し、育てる。
そして何より、その過程が人を成長させる。
高い目標を設定しよう。
目標達成に向けてベストを尽くそう。
多少の苦しさあるかもしれないが、少しして振り返ってみれば、少し前までは思ってもみなかったことができるようになっている自分に驚くことだろう。
ビジョンを持とう
皆さんはビジョンを持った生活を送っていますか?
ビジョンとは将来におけるものの状態の予想図のこと。
ある建築現場で働く三人の石切工がいた。
何をしているのかと聞かれ、彼らは次のように答えた。
第1の男は言った。
「これで生計を立てているのさ」
第二の男は手を休めずに言った。
「国で一番の石切の仕事をしているんだ」
第三の男は目を輝かせて言った。
「国で一番の大寺院を建てているのさ」
まったく同じ作業をしているのにもかかわらず、彼ら三人の目的はいずれも違っていた。
第一の男に見えているのは、あくまで給料である。
彼が過ちを犯すことはないだろう。
しかし日々同じことを繰り返すばかりで成長はない。
第二の男に見えているのは、石と自分のことだけだ。
専門技能を突きつめることには熱心でも、現場全体の中で自分の仕事がどのような意味を持つか、現場は最終的にどのような方向を目指すべきかといったことに関しては、目を向けようとしない。
第三の男に見えているもの、それがビジョンである。
彼は常に仕事の意味と目的を考えて日々を過ごしている。ビジョンがあれば、自分の仕事に価値を見出すことができ、また、たとえ目の前の仕事がうまくいかなくても、ビジョンを共有する仲間と力を合わせて乗り越えることができるだろう。
人生においても、
仕事に関しても、
ビジョンを持とう。
それが、あなたが物事を成し遂げていくための何よりのエンジンとなる。
あなたがいまやっていることは、あなたの、あるいは、あなたの会社のどんなビジョンにつながっているのだろうか?
ビジョンを持った生活を送っていますか?
土地を耕そう
チャンスを掴む準備はできていますか?
ある話をしよう。
成功した人の足跡を見ると、たいてい、その過程で大きな転機となるチャンスをつかんで、ものにしていることがわかる。
そこで、若くして成功した実業家に、これから起業を目指す青年が質問した。
「どうしたら、チャンスをつかめるんですか?」
実業家は答えた。
「常にずっと、それをつかむ努力を続けていることです」
ひとりの農夫が畑に種をまきにいった。
いくつかの種は道端に落ちた。
すると鳥が来てそれを全部食べてしまった。
いくつかの種は石地に落ち、そこは土が深くな
かったので、種は、芽を出したものの根をはれずに枯れてしまった。
また、いくつかの種はいばらの中に落ちた。
すると棘が伸びて種を塞いでしまった。
しかし、そのほかの種はよい土の中に落ちた。
種はやがて実を結び、あるものは100倍、あるものは60倍、あるものは30倍になった。
これは、至るところにある「真実」に気づくわずかな人が果実を広めていくことのたとえだが、種を「チャンス」と置き換えても十分に真理をついている。
すなわち、チャンスとは、自分ではコントロールできない偶然によるものではなく、努力によって誰にでも手に入れることができるものだということ。
そして至る所にあるな、それが実を結ぶのは努力して、よい土を用意していた人のもとにおいてだけであるということだ。
もしあなたが土地を耕しもせず、熟した果実が都合よく天から落ちてくるのを
夢想しているのだとしたら、そんなことは一生起こらないだろう。
誰のもとにもチャンスは無数に、必ず訪れる。
「それ」がやってきたときのために懸命に土を耕し続けよう。
遅すぎることはない。
可能性
トルコの有名なナスルディンの話のひとつをしよう。
ある夜ふけ、ナスルディンが酔って帰ってきたが、家のまわりをぐるぐる回るばかりでなかなか入ってこない。
奥さんが目を覚まし、窓から声をかけた。
「どうして、入ってこないの? 鍵を忘れたの?」
すると、ナスルディンは答えた。
「鍵は持ってるさ。でも、肝心の鍵穴がこのドアにはないんだよ」
あなたには無限の可能性がある。
でも、いったいどんな?
多くの人が自分の可能性の芽を見つけられないのは、いまの自分のやり方やこれまでの経験や物差しで、それを測ろうとするからだ。
夜ふけに太陽を懐中電灯で探そうとするのに似ている。
それはあたかも、あなたが、こうあるべきだと考えているものに、あなたの無限な可能性を当てはめようとしてはいけない。
可能性はいつも、あなたが思っているものの外にある。
自分を信じて
皆さんは、「ノミ(蚤)」をご存知でしょうか。
最近は衛生状態が良くなったのでヒトに寄生して血を吸う「ヒトノミ」は減ってきていますが、犬や猫に寄生する種類のノミは今もまだたくさんいるようです。
ノミは、あの3ミリという小さな身体で約45センチのジャンプすることができる。
ノミのジャンプ力は体長の約100~150倍といわれている。
私の身長が170センチの人間
170センチ×150倍=25,500センチ
つまり255メートルの高さまでジャンプするということ。
東京タワーの特別展望台が地上から高さ250メートルなので、ノミが人間だったらその展望台までひとっ飛びということだ。
ある実験の話をしよう。
ノミをビーカーに入れガラス板で蓋をすると、跳び上がってはぶつかるというのを何度も繰り返すうちに、やがて、ガラス板の少し下までしかジャンプしなくなり、それは、ガラス板を取り外しても変わらないという。
もう、障害はないのに、小さなビーカーの中で、たかだか数センチのジャンプを繰り返すのだ。自分にはその何百倍もの力があるとは夢にも思わずに。
あなたにとってのガラス板は何だろう?
あなたは、いったい自分の力の何分の1のところにガラス板を置いてしまっているだろう。
そしてそれは、本当にそこにあるのだろうか?
かつて、人間の100メートル走の限界は10秒だと言われていた。
ところが、手動による記録とはいえ、ボブ·ヘイズが1963年、9.9秒を記録すると、次々に9秒台の選手が現れた。
かつて、100メートル自由形水泳の限界は1分だと言われていた。ところが、ジヨニー·ワイズミュラーがその壁を破って半世紀、いまや世界記録は45秒台だ。
自分の可能性に限界を設けてはいけない。
たとえ誰が何と言つても、これまで誰があなたに何と言ってきたのだとしても、あなたにはもっと可能性がある。
一生をこのままビーカーの中で過ごすのか?
それとも、可能性を信じてやってみるのか?
さあ、もう一度跳んでみよう。
そして、跳び出そう。
あなたが跳び出したとき、
きっと他の人たちもいっせいにあとに続くだろう。
自分の可能性
あなたは「みにくいあひるの子」の話を知っていますか?
アヒルの子どもとして育ったハクチョウの子は自分をアヒルだと思い込んでいた。
みんなと違う劣ったアヒルだと思っていた。
みんなと同じようになりたいのになれない自分が悲しかった。
もし、他のアヒルたちに仲間はずれにされなかったら、そのアヒルの子は一生、アヒルで終わっただろう。
自分が本当は、ハクチョウであるとは知らないで。
インドに古くから伝わるヨガの説くところでは、わたしたち人間が犯す最大の過ちは自分で自分を小さくしてしまうことだという。
最新の脳科学は、わたしたちが通常使っている脳の機能はその潜在力のわずか二パーセントにすぎないと推測する。
自分にはまだまだ可能性がある。
きっといまの自分には思いもよらないほどの可能性がある。
「ふつうは」「みんなは」といった尺度では
測りきれない可能性がある。
それを信じた者だけが、自分がハクチョウであることに気付きその優雅な姿で、大空へと羽ばたく。